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仮説の冒険 吉田 司

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賢治のファアシズム、莞爾のファシズム

この前、全体主義(ファシズム)のことを、わかりやすく〈反個人主義〉などと書いたが、学問的には〈主体の消去〉と重々しく規定したほうがいいらしい(笑)。するとそれは戦後平和ニッポンの企業兵士・サラリーマンたちの集団主義的性格により近くなる。〈戦前〉と〈戦後〉=〈全体主義〉と〈集団主義〉、この近似性、連続性はどこから出てきたのか!?

そこで今回は少しく学問をしよう=評論家・柄谷行人の講義を受ける。これは1997年『宮澤賢治殺人事件』を出版したとき、『批評空間』(1997、11-14)で共同討議「宮澤賢治をめぐって」というのが行われたのだが、その時、柄谷に教えてもらった、わたしにとって“一番大事な話”だった。

だからちょっと長い文章になるけど、丸ごとここに引用するね。

                     *

柄谷 宮澤賢治とファシズムの関係にかんして誤解が生じやすいのは、ひとつには、ファシズムに対する誤解があるからだと思う。ファシズムというと、帝国主義あるいは軍国主義だと見なされる。その点で、賢治は平和主義者だからいいということになる。しかし、アメリカは帝国主義だったけれども、ファシズムではない。ファシスト国家というのは。戦前にイタリアから始まって二十何カ国あったわけですが、そのなかで軍国主義的だったのは日本とドイツ・イタリアだけです。そのイタリアも侵略戦争を始めたのは一九三八年ぐらいです。それ以外はいわば平和主義です。フランコのスペインは第二次世界大戦において中立だった。むしろファシズムの特徴は、一種の平和主義。矛盾・葛藤のない世界を作ることです。宮澤賢治ほどそれを体現している者はいません。

 ファシズムの最大の課題は労農問題の解決ですね。社会主義に対抗して、資本経済の枠内で、それがもたらす矛盾を全部昇華しようとする企て。だから、それは社会主義的なのです。日本でファシズムが完成するのは、近衛内閣時代の総動員ですね。総動員というのは、事実上日中戦争の過程でできたからすべて軍事的と思われているけれども、実際は、それは軍事と非軍事の差異がないということです。そのことはユンカーが一九三〇年くらいに言っています。

 日本は戦後に非軍事化された。アメリカ占領軍は、日本は軍国主義だと思ったからです。非軍事化されても総動員体制は残った。言い換えれば、それはファシズムが残ったということです。それは非軍事的な経済戦争に転化した。それが見事に成功したのが八〇年代です。その時点では日本は経済戦争でアメリカに勝ったわけです。しかし、ソ連が崩壊すると同時に、日本の総動員体制も崩壊した。日本はソ連よりも社会主義的だと言われたことがありましたが、ソ連を崩壊させた力は、日本をも崩壊させた。

 八〇年までに完成した日本のシステムとは、いわば土建業を中心とするものですね。これによって、農民・労働者、地方都市などが救済されています。それが政治家・官僚と結びついて、巨大なマシーンを作っている。自由化とか行政改革とか言っても、その抵抗を押し切ることはできない。

                        *

柄谷行人の講義を引き継げば、ファシズムの平和主義的側面を体現したのが宮澤賢治。軍事的側面を体現したのが石原莞爾だったのだろう。賢治は『農民芸術概論綱要』の中で、こうも言っている。

「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある」

これは莞爾の「世界はひとつになる」(最終戦争論)の予言と同種のものだろう。またファシズムの最大の課題「労農問題の解決」は、賢治の場合は「近代東北・岩手県の農村飢餓問題の解決」と解釈され、あの有名な羅須地人協会が生まれた。岩手の「飢饉(けがち)の大地」に対する賢治の絶望の言葉が残されている。

 そのまっくらな巨きなものを
 おれはどうにも動かせない
 結局おれではだめなのかなあ(「春と修羅」)

莞爾はそれを満州建国という〈新天地〉を拓くこと=満州移民・満蒙開拓で解決しようとした。アジアの五族協和(日・満・漢・蒙・朝)による実験的な重工業都市国家(王道楽土)の建設だった。そしてその満州経済システムは当時大躍進していたソヴィエト経済五カ年計画をモデルにした。

ファアシズムは「社会主義的なのです」という柄谷の言葉はここでもあてはまる。ただし満州経済のインフラを完成させたのは石原莞爾ではなく、革新派官僚の岸信介(長州閥)である。岸はドイツ式の重要産業統制経済モデルを導入した。そしてそのソ連+ドイツ折衷型の満州経済システムが、東条英機の下で大日本帝国の戦時統制経済(官僚主導型の計画経済)に姿を変え、戦後も生き延びる=これが戦後平和ニッポンの“奇跡の高度成長”の原動力となった……というお話である。

とすればね、戦後がそういう平和主義ファシズムの時代だったとするならね、「ひとつになろう日本」の奥羽越系全体主義の物語も生き延びて、もう一回、花開いても不思議ではないだろう。

今度は非軍国主義的なかたちで。

それが、越後の人・田中角栄の日本列島改造論だったのである。
(つづく)
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  1. 2011/07/01(金) 02:28:10|
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