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仮説の冒険 吉田 司

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13 福祉権運動の高まり

B.1960年代の「貧困の再発見」と福祉権運動
 フランクリンの国、アメリカの国民意識には「自助の精神」と「貧困者=惰眠」観が深く根付いているといわれ、1950~60年代にかけても強力な公的扶助の引き締めが行われている。生活保護を必要とする下層社会が急速に拡大していたのだ。
 例えばAFDC(児童扶養家庭に対する公的扶助)受給者は、1961年の357万人から64年には422万人に急増したとあり、その急増するAFDC受給者の大半はこの時期に「都市に大量に移住してきた黒人の貧困者」だったといわれている。
 読者にはかつてのニューヨーク・ハーレムの黒人スラム街の荒廃した光景をイメージしてもらいたいが、〈スラムの形成と生活保護者の増大〉って言ったらば、それはあの1601年エリザベス救貧法以来、資本主義が不可避的に生み出したものだったってことも同時に思い出してもらいたい。
 でね、1963年にM・ハリトンという人が『もうひとつのアメリカ』って本を書いたんだって。これが全米に大ショックを与えた。
「59年の時点で全人口の20~25%に当たる4000~5000万人が貧困であった。貧困者たちは閉ざされた環境(例えば黒人ハーレム街:筆者注)のなかで世代間で再生産される『貧困の文化』にとらえられて呻吟している」と暴露したからだ。
 つまりケネディ大統領の「偉大な社会」の中で貧困が再発見されたのだった。
 その後は、
●ジョンソン大統領 「貧困を克服する」ための貧困戦争宣言→「職業訓練を中心とした雇用対策」で効果なし。
●ニクソン大統領 貧困戦争の「敗北」宣言(1969年)
 しかしね、特筆すべきはこの時代、貧困戦争の貧困な福祉行政に対してラディカルに抵抗して戦った公的扶助受給者を中心とした権利要求運動が登場したことだ。
 1950~60年代に黒人差別の撤廃を要求する「公民権運動」のデモの並が全米を揺り動かしたことは読者もよくご存知のはず。キング牧師の非暴力闘争や銃をとって戦うマルコムXの黒豹党(ブラック・パンサー)などが活躍したが、1964年に公民権法、65年に投票権法が成立すると、黒人の権利要求は経済的差別の解消の方向に流れが変わる。その背景には多数の黒人スラム街・AFDCの受給者の半数近くが黒人といった構造的差別が大きかったからである。
 つまり「公民権」運動のエネルギーの中から、黒人の「生存権」「社会保障」を要求する《福祉権》という新しい概念を掲げたソーシャル・デモの波が生まれてきたのだ。67年「全国福祉権組織」(NWRO)の大会には21州の45の都市にある75の福祉組織の代表が結集。アメリカ国家の貧困戦争の欺瞞を批判し、公的扶助受給者による全国的キャンペーンの展開→大量の扶助申請の奨励や不当な扶助制限や権利侵害に対する法廷闘争を含む徹底的な追求を全米に呼びかけたという。

介護地獄脱出の戦い方

 この《福祉権》運動は、いま日本の生活保護(公的扶助)と介護地獄の解決を考える上でもっともダイレクトに飛びつける“戦いのスタイル”だと思うので、彼らの運動スタイルを詳しく紹介しておくね。
●60年代アメリカ 貧困層(下層社会)の拡大→公的扶助者の急増→公的扶助の引き締め
●2012年ニッポン 貧困層(下流社会)の拡大→生活保護者の急増→公的扶助の引き締め論の台頭
 この類似点も頭においた上で、彼らの戦いのスタイルを参考にしよう。特に「大量の扶助申請」運動の展開ってのに、わたしは一番魅了されるんだけど。
「福祉運動が第一にめざしたのは、現行の公的扶助制度の根本的改革であった。具体的には、①健康で人間らしい体面を保てる水準までの扶助基準の引き上げ、②調査活動の縮小、③家族単位原則の撤廃、④プライバシー侵害反対、⑤追加所得を理由とした扶助削減反対、⑥法的諸権利の尊重などであった(J・ポール)。要するに、それは、生存権ないしは社会保障の権利を要求するものであった。かくして、アメリカ合衆国の公的扶助・社会福祉政策を根強く支配してきた自助の原理に対し、すべての者が等しく無条件に社会的生存を国家から保障されるべきであるとする権利要求を対峙する運動が現われたことは、まさに画期的なことであったといわなければならない」
 それはさらにこう発展してゆく。
「アメリカ合衆国の公的扶助・社会福祉政策とその原理を根底的に批判した福祉権運動は、それだけ多くの抵抗や規制をうけることになったが、ヴェトナム戦争の拡大と逆比例して貧困戦争が縮小していく状況の下で、運動はさらに発展していった。その戦術も、黒人運動や反戦運動などの影響をうけて、法廷闘争やデモ・座り込みなどの抗争的な直接行動が多用されるようになるのである。そして、一九六七年の社会保障法改正による「労働奨励事業」(Work Incentive Program)に対する反対運動、七〇年のニクソン政権下での「家族扶助事業」(Family Assistance Program)に対する反対運動などの大規模な運動展開によって、連邦政府も、その政策形成においてNWROの存在を無視しえない影響力をもつに至ったのである」
 けれども1970年代のベトナム戦争の敗北→経済悪化(スタグフレーションの時代)の中で、アメリカの社会運動全般的に後退し、福祉運動も力を失ってゆく。いわば、ブースの道の歩みはここで終わり、その後からは再びあの公的救済をネグる・縮小することを信念とするマルサスの道が新しい名前で再登場してくる。「新保守主義」(ネオコン)「新自由主義」(ネオリベ)という新しい名前で。福祉社会の冬の時代が到来するのである。
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  1. 2013/04/12(金) 00:11:28|
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