FC2ブログ

仮説の冒険 吉田 司

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

12 公的救済、恐慌、戦争

 その後世界はマルサスとブース、どっちの道を歩いたのだろう。駆け足で歴史の中を走ってみよう。
①まず、第二次世界大戦中のイギリス・1942年『ベヴァリッジ報告書』が出され、戦後、第三次労働党内閣によって具現化された。この報告書は英国の《ゆりかごから墓場まで》の画期的な生活保障の原理・体系を打ち立て、福祉国家の「理想」は『ベヴァリッジ報告書』にありとまで言われたという。
 ウィリアム・ベヴァリッジの言葉はこう。前出の『社会保障の歴史』からの引用だ。
「『窮乏の根絶は単に生産の増強のみによっては達せられないのであって、正当な分配を必要とする。……必要なのは、賃金労働者自身の間の収入のある時期と収入のない時期、あるいは家族の負担の多い時期と少ない時期、また、それが全然ない時期との間の、購買力の分配をよりよくすることである』として、所得再分配を通じての生活保障論を展開した。われわれの生活保障は、ベヴァリッジの強調する社会保障体系と民主主義原理を貫徹させたとき、はじめてその出発点に立つことができる」
 ただし、ベヴァリッジ報告書はなんのために提出されたか。それはね、あの1929年米国ウォール街大暴落から始まった世界恐慌でイギリスは100万人を超える失業者=公的扶助受給者を出し、英国資本主義は危機に陥った。そして二度目のヨーロッパ大戦が勃発したのだ。
「『ベヴァリッジ報告書』は、失業保険を中心に従来の『社会保険の破綻』と悪化しはじめた経済状況、とくに、第二次大戦突入という英国資本主義が直面した世界恐慌以上の課題に対応すべくうみ出されたものである。
 第二次大戦下の国家政策として、(1)失業を経験した国民を戦争に動員することが不可避であり、(2)戦後到来する経済変動と社会不安をいかに予防するかが、緊急課題となった」
 つまりこれは、戦争協力と戦後の社会不安を安定化させるために作られた社会保障で、かつて民衆暴動や革命予防のための治安対策として1601年エリザベス救貧法を施行した、あのはじまりの時代とほとんど変わらない提出理由である。とすれば、公的扶助(生活保護)はイコール治安対策(革命・暴動の予防)なのであり、社会保障の道を充実させるには民衆騒乱(貧乏人の一揆)を起こすのが一番ということになる。もちろん暴論だが、国家は選挙の一票で変革できるものではない。それは国会・政党取引という安全制御装置の中で無効化させるからだ。国家は治安悪化したときにだけ動く=それが福祉大国だったイギリスの歴史が示す教訓だ。

ニューディール政策は効果があったのか

 では次に、(2)あのフランクリンの自己責任の国アメリカの連邦国家による公的救済=社会保障の歴史の中からブースの道の歩みを2つピックアップしてみよう。
A.1935年ルーズヴェルトの社会保障法(ニューディールの救済政策)
 ウォール街からはじまった大恐慌期のアメリカ社会は失業者1300~1400万人といわれ、崩壊の瀬戸際にあったが、ハーバート・C・フーヴァー大統領は資本主義の教義である「自由放任主義」(自由競争の原理)に固執し続け、失業・貧困問題への対応は「(連邦)政府によるいかなる施与にも反対」した。そのためアメリカ各地の町には失業者たちの掘っ立て小屋からなる「フーヴァー・ビル」が現れたという。
 1933年に大統領となったフランクリン・D・ルーズヴェルトは、失業者救済=雇用の創出のための「ニューディール」(銀行救済と産業復興と公共事業の拡大)を打ち出した。
「ルーズヴェルトはいち早く連邦緊急救済法(Federal Emergency Relief Act)を制定し、失業者を貧困者のうちに含めて救済するという方式を採用していた。ここに、連邦政府による救済がアメリカ合衆国史上初めて実現したのである。同法によって、連邦政府は従来から救済責任を担ってきた州・地方政府に補助金を交付することとした」
 恒久的には「社会保障法」を制定。内容は老齢年金制度(離職した65歳以上の老人)と失業保険制度の二種類の社会保障に加えて、三種類の特別扶助(老人、要扶養児童、盲人)制度から成っていた。
 ただし、ルーズヴェルトのニューディールは歴史のうえで絶賛されているほど実際には成功していない。D・A・シャノン著『アメリカ:二つの大戦のはざまに』の中にこうはっきりと記されている。
「たしかに(ルーズベルト大統領の)ニューディールは経済状態を改善したが、アメリカに繁栄を取り戻させたのはニューディールではない。それは戦争(第二次世界大戦)である」
 前出の『社会保障の歴史』も戦争景気が恐慌をぶっ飛ばしたと評しているぜ。
「ニューディール救済政策の真価が試されるよりまえに、アメリカ資本主義の戦時経済化が進行していった。そして、それとともに大不況期を特徴づけたあの厖大な過剰人口の問題=失業と貧困の問題は、雲散霧消してしまった」
 では、例によって、そもそもニューディールの公的救済政策はなんのために、誰のためになされたものなのかを歴史に尋ねてみよう。
「ルーズヴェルトの政策は、いずれも社会主義やファシズムへの道を辿ることなく、アメリカ資本主義体制を維持していくための、労働者・失業者・貧困者その他勤労大衆を連邦政府(体制)の受益者・支持者として繋留しようとする努力の表れに他ならなかった」(前掲書)
 それは一言でいえば、「革命の予防」ではなかったろうか。ニューディールは「貧民のため」というよりは「国家のため」または「資本主義のため」になされたのであり、その証拠にアメリカ合衆国における失業と貧困の問題は第二次世界大戦と戦後の冷戦体制、軍産複合体支柱とした繁栄の中で忘れ去られていったという。1960年代の次の民衆騒乱が起きるときまで。
スポンサーサイト
  1. 2013/04/11(木) 00:57:20|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<13 福祉権運動の高まり | ホーム | 11 公的扶助に対する2つの道>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://tsukasa45.blog.fc2.com/tb.php/46-e699f8e9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。