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仮説の冒険 吉田 司

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赤勝て! 白勝て!

前回は話が脱線したけど、そうそう、日本は〈ひとつ〉かどうかの論争でした。日本がひとつという幻想に日本列島全体がつつまれた時代が歴史の中で一回だけありました。日本人が近代国家(天皇による立憲君主制)になった明治・大正・昭和(戦前)の時代で、誰もが〈大和民族〉という高天原の血脈を継ぐ天孫民族=神話的「単一」民族説を叫んでいました。

それでも足りず〈アジアはひとつ〉と言い出します。五族(日本・満州・漢民族の中国・蒙古・朝鮮)はひとつになろう、団結しようという五族協和の大東亜共栄圏という侵略征服王朝をアジア大陸の中に作った時代です。〈ひとつになろう〉がブームでした。歴史学者はこれを全体主義(ファシズム)とか軍国主義の時代と呼んでいます。

ですから、今度の大震災被害での復興CM「ひとつになろう日本」とかいうスローガンが毎日、毎日、テレビやネット、ラジオで繰り返し流されて“洗脳化”状態になっているのを思うと、いまの日本もなかなか不気味なわけです。

でもね、リアルにたちかえると、日本は決して〈ひとつ〉なんかじゃないんです。あの東京電力の発電送電一貫体制と地域独占の問題においてさえ、電圧の周波数は、東日本50ヘルツ、西日本60ヘルツで2つに割れていて、西と東で電気の融通がうまくできないじゃないですか。なぜですか?

ちょっと時間を飛びましょう。例えば鎌倉の武家政権(源頼朝)が誕生するときも、日本は東日本と西日本に二分されました(笑)。東日本の関東武士「源氏」が率いる騎馬軍団(前衛部隊は東北・平泉育ちの源義経)と西日本の広島安芸の厳島神社を尊崇する海人軍団「平氏」が激突し、平家は壇ノ浦の藻屑と消えた。

江戸幕末期の「侍ニッポン」も東と西に二分された----朝廷(天皇)の錦の御旗をかかげて北上してくる西日本(薩長土肥)の維新同盟に対し、仙台や岩手や山形、福島の会津藩や新潟の長岡藩などの東日本は輪王寺宮公現法親王(りんのうじのみやこうげんほつしんのう)を盟主にいただき「奥羽越列藩同盟」を結成して迎え討った。アメリカ公使ヴァン・ヴォールクンバーグは「日本に二人の帝が誕生した」と本国に伝え、会津を中核とした北方政権が優勢だと報じたらしい。

つまり日本列島の歴史はしばしば二分する。東のパワーが隆起したときは西が退く。西のパワーが支配するときは、東が雌伏する。それが地政学的なひとつの法則だった。なのになぜ日本近代においてだけ〈ひとつになる〉幻想が発生したのだろう?

それはね、近代東北(東日本)が闇に沈む「怨霊の国」となったからだ。

菊は栄える 葵は枯れる 西に轡の音がする……で、江戸は薩長閥(西日本政権)に占領され、そのまま東京という名の明治近代の文明開化がはじまった。東北は幕末戦争に敗れた二人目の《帝》と、うらみをのんで死んだラスト・サムライの死霊、生霊、浮かばれぬ亡霊(幽霊)たちがさまよう「賊軍の国」となった。だから近代東北とは眼には見えない、姿なき「怨霊の国家」だったのであり、その怨霊たちの〈魔〉の系譜が天皇と薩長閥の大日本帝国に憑りつき、その軍国政治の進路を狂わせ大きくアジア侵略にという“乱調”に導いていった……というのが、わたしたち日本人の明治・大正・昭和だったのである。つまり敗残し雌伏する〈東〉が賊軍の汚名を晴らさんとして〈西〉に憑りついて一体化しようとする=この時はじめて日本民族は〈ひとつ〉になった……。

嘘だと思うかい? ホラー虚構の幽霊譚だと。いいえ、現実。次回は南部藩(岩手)出身、平民宰相と呼ばれた原敬に証人として登場してもらうからね。
(つづく)
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  1. 2011/06/02(木) 02:27:35|
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