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仮説の冒険 吉田 司

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3.11以後を見る第3の目 その2

最初に物語るのは〈アメリカ〉という電脳大国についてだ。コンピュータもインターネットもアメリカ育ち。はなっから核兵器(原爆・原子炉・原発)とワンセットで大きくなった。インターネットの出生も〈核〉がらみだったからね。

インターネットのもとになった世界初のコンピューター・ネットワーク『ARPAネット』は、核戦争のシナリオづくりのなかから生まれている。(中略)中央のマザー・コンピューターが制御する一元的なシステムではなく、多くのコンピューターを結んだ分散型の命令伝達系統ならば、いくつかの司令部が核攻撃をうけても崩壊せずにすむ。(『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』歌田明弘、平凡社)


ってな案配で、その電脳アメリカはいま“第ニのリーマン・ショック”と呼ばれる経済凋落に見舞われて大変なことになっている。「強欲ウォール街を占拠せよ!」と叫ぶニューヨークの失業若者・中流市民の〈反格差デモ〉がブルックリン橋を封鎖するなどの大騒ぎ。まぁ平たく言えば「パクス・アメリカーナ」(世界のアメリカナイズ)の終焉ってことなんだが、最新刊『誰が中流を殺すのか――アメリカが第三世界に墜ちる日(Third World America )』(アリアナ・ハフィントン)にはその実例が嫌というほど書きこまれている。

●160万人の大学新卒者の若年失業率は20%近い。これは1948年以来、最悪だ。
●ブルーカラー層の6人に1人が失業している。この数字は大恐慌(1929年)に匹敵する。
●アメリカ人の8人に1人が低所得者向けのフードスタンプ(食料切符)を支給されている。

ところがさ、このアリアナの中流崩壊説なんて歯牙にもかけない学説があってさ、アメリカの凋落(大停滞)はなにもリーマン・ショックにはじまった話ではない――1973年以降ずっと経済停滞が続いてきたと、タイラー・コーエンって経済ブロガーが吠えているんだよね。そこでさ、「2011年、最も話題の経済書」(『ビジネスウィーク』)「過去30年間の歴史に関する常識を根本から揺さぶる一冊」(『エコノミスト』)といま大評判のその経済ブロガー、タイラー・コーエン『大停滞』って書物のページを開きながら、いよいよ最終章本番に突入だ。

コーエンはフリードリッヒ・フォン・ハイエクの流れを汲む現代オーストリア学派(市場経済重視)に近い立場にあるらしい。まあいわゆる新自由主義的な視点ということだろう。彼によればアメリカ経済の繁栄を支えてきた条件「容易に収穫できる三つの果実」が食べつくされた。
①無償の土地(先住民からの略奪物)はすでに消滅。
②イノベーション(技術革新)は大停滞。
③アメリカン・ドリームを実現する子供たちの教育は劣化(基本計算さえできない大学生・中退続出)
これらの果実が失われたことが、アメリカ経済を危機に陥れている――というのである。

以下、特に②についてのコーエンの次のような指摘が評判を呼んでいるのだが、画期的なイノベーションの枯渇が世界経済の“長期停滞”を招いているという主張はすでに日本の経済学者・金子勝などがデフレ日本「失われた10年」時代で書いていた物語ではなかったっけ?? そこでコーエンの文章をるる引用して考察してみるが、疑問点を積極的に斜線で強調しておいた。

そう、タイラー・コーエンが最終章の標的なのさ。

(1)一九七三年以降、アメリカも“大停滞”を経験してきた。……二〇〇八年の世界金融危機を招いた一因は、この“大停滞”だった。平たく言えば、私たちは自分たちのことを金持ちだと勘違いし、莫大な借金をしたが、実際は金持ちではなく、金融危機という形で自信過剰と自己満足のツケを支払わされた。なぜアメリカが景気後退からいつまでも抜け出せずにいるのか……イノベーションが停滞しているせいで、新しい雇用を生み出せていないのだ。

(2)最近の三度の――つまり一九九一年、二〇〇一年、二〇〇九年の――景気回復はことごとく、いわゆる「ジョブレス・リカバリー」(雇用拡大をともなわない景気回復)だった。雇用の回復を置き去りにして、企業収益だけが立ち直ったのだ。


(3)一八八〇年から一九四〇年にかけて、数々の目覚しい新技術が私たちの生活に取り入れられた。電力、電灯、強力なモーター、自動車、航空機、家電製品、電話、水道、医薬品、大量生産システム、タイプライター、テープレコーダー、写真、テレビなどが登場した。……この時代に取り入れられたテクノロジーの多くは強力な化石燃料エネルギーで最新の機械を動かすという発想に立っていた。この二つの要素の組み合わせはそれまで人類の歴史に存在しなかったものだが……、では今日の世界はどうか。魔法のテクノロジーに思えるインターネットを別にすれば、物質的な面に限ると、私たちの暮らしは一九三五年以降たいして変わっていない。自動車も、冷蔵庫も、電気照明も当時すでにあった。

(4)アメリカ人は、一九六九年のアポロ11号計画の月面着陸こそ、科学技術の進化の歴史において旧時代と新時代を隔てる象徴的な出来事だと思っている。……しかし実際には、古いテクノロジーの進化がゴールに到達した瞬間だったと考えたほうがいい。……鉄道や自動車と違って、月面着陸は私たちの生活を変えなかったのである。


まず最初にクエスチョン。(1)“1973年以降、イノベーションが停滞している”理由をコーエンはこの本の中で説明していない。なぜ1973年なのか? それは、わたしなりに推理してみれば、(3)の“この時代に取り入れられたテクノロジーの多くは強力な化石燃料エネルギーで最新の機械を動かす”技術だったという点に注目するね。なぜなら、1973年には第四次中東戦争と石油危機(オイル・ショック)が起きている。アラブ諸国主導の石油経済が世界市場に大きな影響力を発揮し始めたのである。当時それは「開発主義」とか「第三世界ナショナリズム」と呼ばれたと『ショック・ドクトリン』のナオミ・クラインは次のように書いている。

開発主義経済学者たちはこう主張した。自然資源の価格は下落し続けており、発展途上国が貧困の悪循環から抜け出すには、これまでのようにヨーロッパや北米への自然資源の輸出に依存するのではなく、国内指向型の工業化政策を追求する以外に道はない、と。彼らは石油や鉱物をはじめとする主要産業の規制や、場合によっては国有化を提唱し、それによって収益のかなりの部分を政府主導の開発プロセスに注入できると主張した。



つまり20世紀の工業技術のベースであった〈石炭〉〈石油〉エネルギー源を最低価格で“湯水のごとく”使い放題だった欧米先進国経済の植民地主義的優位性が1970年代半ばから急速に落ちていったのだ。アメリカ経済の繁栄を支えてきた①無償の土地(先住民からの略奪物)によく似た〈石油というフロンティア〉が失われてゆく……あるいはイスラエル支援や湾岸戦争・イラク戦争などの高い代価を支払わねばならぬ〈石油の一滴は血の一滴〉に変わっていった。それこそが、アメリカの生産性の鈍化=大停滞の最大原因ではなかったのか。イノベーションの枯渇よりも。

コーエンの停滞論はエネルギー資源のコスト問題を意図的に(おそらくは)見落としている。だから20世紀半ばの2つの画期的な新技術=〈原子爆弾=原子炉〉と〈コンピューター〉の開発イノベーションが登場してこない。戦後冷戦の時代を左右し、今も世界を右往左往させている核製造と原子力発電の技術――その操作に不可欠なコンピューター技術の視点が希薄だから、(3)「私たちの暮らしは一九三五年以降たいして変わっていない。自動車も、冷蔵庫も、電気照明も当時すでにあった」などと言えるのだろう。

1945年7月 米国ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠でプルトニウム爆弾(原爆)の実験成功
     8月 日本の広島・長崎に原爆投下
1953年12月 米国アイゼンハワー大統領「アトムズ・フォア・ピース」(原子力の平和利用=原子力発電所の
         拡散政策) の国連演説

そしてこの年表の1945年から世界は大きく変化した――ソ連・英国・フランス・中国が次々と核実験→核保有国となり、東西冷戦→核軍拡の戦後が始まっていった。そして1953年の原子力の平和利用(民間電力会社への核技術のスピンアウト)こそが、やがて電力資本の支配を超えた「闇の核取引」市場を形成し、インドやパキスタン、北朝鮮などの核実験・核保有・核拡散の土台を作っていったのだ。だから、わたしたちは確かにコーエンの言うように2011年の現在も1953年と同じく電気は使っている。しかし電力依存の技術=オール電化生活の中身は大きく変化した。

鈴木真奈美の『核大国化する日本』にはこう記してある。

「バターを切るのに電気ノコギリを使う」。欧米では原子力発電に依存する生活をこのように形容した。必要なのはバターを切るエネルギー(電気とは限らない)なのに、原子力発電が供給できるのは電気ノコギリ用のエネルギーだけ。原子力発電に依存する社会とは、使わなくともよい電力を無理やり使う電力浪費型にならざるを得ない。


米国のアル・ゴアや日本の民主党政府の原子力ルネッサンス(原子炉ビジネス)はその電力浪費型社会をさらに推し進めようとするものだが、もっと憂慮すべき変化が出てきた。

平和(商業)利用も軍事利用も、核エネルギーの原理に違いはない。『平和のための核』(引用者註:原子力発電のこと)が普及するにつれ、核爆弾の製造能力をもつ国々はどんどん増えていった。(『核大国化する日本』)


現在その能力をもつ国は44カ国に達する。その結果、いま最も核の脅威に脅えているのは、その“核保有の素”を世界中にばらまいてきた先進原子力大国(米・露・仏など)自身である。すなわち《自国へのテロ攻撃》を恐れねばならぬ事態なのだ。あの9.11同時多発テロの特攻隊がウォール街のシンボル・ツインタワーではなく、米国の原子炉に突入したとしたら……??と。

コーエンの「イノベーションの大停滞」理論にはそういう“原子力市場”を戦後新たに築いた核技術の視点がひとつもない。化石燃料エネルギーの視点だけだ。当然、原子炉や核ミサイルの制御技術として不可欠の《コンピューター技術》の変化・成長成熟の歴史にも注目していない。だから(4)1969年の「月面着陸は私たちの生活を変えなかった」などと呑気なことを言ってられるのだ。

次回は、アメリカのスミソニアン航空宇宙博物館で、1994年にわたしがこの目で見たアポロ11号の回収カプセルに出会った時の時代認識を語ることから始めたい。
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  1. 2011/11/26(土) 01:40:56|
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