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仮説の冒険 吉田 司

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原発と情念

前回は、評論家の柄谷行人が、新聞記者に語った「日本でデモがなくなったのは70年代から」という話は、眉に唾して聞いたほうがいいと、書いた。今回は、そのデモがなくなったのは「原発が増え始めたのと同じ時期だ」の言葉(7月30日のブログ参照)の吟味から入ろう。

これは簡単だ。「原発が増え始めた理由」はズバリ一言で言えば、地方農村の過疎対策としてすすめられた1974年田中角栄首相の「電源三法」による電源立地地域対策交付金、すなわちばらまきの《カネの魔力》が大きい。デモの数とはほとんど関係がない。『週刊東洋経済』(6月11日)から引用するぜ。

「60年代半ばには三重県芦浜地区で大規模な立地反対運動が起こり、70年代に入ると原発立地計画は例外なく反対運動に見舞われた。73年には初の原発立地訴訟である「伊方訴訟」が提起された。
 こうした逆風を受け74年、田中首相が成立させたのが、「電源三法」である。電力会社から徴収した電源開発促進税を、電源立地地域対策交付金として還元する制度で、立地地域を振興するという触れ込みだ。……立地地域に多大な影響をもたらしたことは間違いない」

「電源三法制度は、交付金収入をテコに地域経済基盤を強化することが狙いのはずだが、多くの立地地域では原発依存を強めるだけの結果に終わってしまっている。
 では国が立地地域の活性化や過疎からの脱却を本当に考えていたのかといえば、それにも疑問が残る。64年、原子力委員会は『原子炉立地審査指針』を決定したが、適当な立地条件として、『低人口地帯』『人口密集地帯から離れていること』などを挙げている。この規定がある以上、原発は僻地にしか作れない、そして継続運転を望むなら、立地地域は過疎であり続けねばならないことになる。電源三法交付金の本当の目的は地域振興ではなく、過疎の継続を強いることへの“慰謝料”だったという見方もできる」

ニューヨークタイムズの東京支局長マーティン・ファックラー氏の《カネの魔力》批判のレポート(『週刊現代』)も援用しとくね。

「ファックラー 日本はいくつもの深刻な原発事故を経験してきているのに、大規模な反対運動は起こらず、常に原発先進国であり続けた。ほかの国なら大規模な反対運動が起こっているはずなのに、なぜ日本はそうならなかったのか。それが海外から見ると不思議で仕方なかったのです。
 ところが取材の過程で、補助金と雇用創出につられて、原発のある町全体がそれに依存している仕組みがわかってきました。まるでドラッグのように、一度原発経済に依存してしまうと、もう抜け出せない――これは私たちから見ると驚くべきことでした。……東海村の原発を例にとれば、1960年代~70年代にかけて原発建設が進められたとき、地元の漁師たちが大反対をしました。ところが、一度補助金・補償金が町に下りた途端、彼らは賛成派になってしまうのです。この変貌には驚きを禁じえません。いま、これらの地域を取材すると、住民が「原発事故は怖い。しかし、原発を誘致したことは後悔していない」と言うのですから、脱原発と口では言っても、現実的には難しいのではないでしょうか」

そう、70年代反公害運動の母親、主婦たちが〈いのち〉と〈暮らし〉を天秤にかけ、公害企業の直接行動(打ちこわし)差し控えたように、原発の地元自治体の住民たちもまた〈いのち〉と〈暮らし〉を天秤にかけ、〈暮らし〉(生計)のほうを選んだのだ。原発が70年代から増えていったのはそのためである。

ではこの「デモと原発」の点描の最後に、その原発の背後に黒々と広がる60年代東北農村の〈過疎〉の姿ってやつを一筆書きしておこうね。ただ間違わないでほしいのは、戦前東北は冷害や飢饉による農民たちの暗黒な飢餓問題、いわば〈いのち〉の問題だった。それが宮澤賢治の「ヒデリノ夏ハオロオロ歩キ」を生み、石原莞爾の「満州建国」(東北農民の新天地)を生んだ。「雨ニモ負ケズ」の農村青年たちは赤紙一枚で農地を捨て東北総動員で銃を持ち「アジアの人殺し」(東洋鬼)と呼ばれる大日本帝国の農民兵士へと変貌していった。

それに対し、戦後東北の暗黒は過疎(労働力不足)という、いわば〈暮らし〉(生計)の問題である。60年代の東北農民は農地を離れ、総動員で上京し京浜工業地帯やダム建設の飯場を転々とする産業兵士=出稼ぎ労働者となった。その娘は息子は中学を卒業するや「集団就職列車」に乗せられ東京・大阪の新天地へ「金の卵」(若年労働者)と呼ばれ売られていった。東北農村はたちまち労働力の飢餓状態に追い込まれた――。

わたしは前にも紹介した『エスクワィア』(1991年7月)の中で、その東北の過疎問題の悪な姿を次のように描いたことがある。それをここに引用して、「デモと原発」考を終わりたい。

「あの60年代村中の男が都会に出稼ぎに出て行き、村は衰亡、爺ちゃん婆ちゃん母ちゃんの三ちゃん農業に追い込まれていった時代の詩を一編想い出そう。

 村の女は眠れない/どんなに腕をのばしても夫に届かない/どんなに乳房が熱くみのっても夫は応えない/夫が遠い飯場にいる女は眠れない/……熟れきったからだが戸を蹴破ってふぶきの外にとびだすのをおそれて眠れない/……あぁ 村の女は眠れない。(草野比佐男「村の女は眠れない」より)

 ここに描かれているのは、農村の母の性的飢餓だけではない。三ちゃん労働と家事、育児、老人介護、学校や村の行事、要するに農業世界の一切を一人で背負わされた女の呻きである。そーゆー許せない呻きを最下層の支えとして、即ち男を土から切り離して産業戦士に変え、女を夫から切り離して家庭戦士に変えて日本農業は崩壊し、80年代バブル東京のあの「くう・ねる・あそぶ」の軽やかな都市の時代が到来したのだ――」

言葉を変えれば、原子力発電所がやってきた村や町では、女たちが夫の腕の中に安らかに抱かれ眠ることができるようになったのさ。原発が安全か危険か、じゃないのさ。原発は彼らを「守護」したというお話……それが、地元住民が「原発を誘致したことは後悔していない」ホントウの理由だ。
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  1. 2011/09/04(日) 18:12:59|
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