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仮説の冒険 吉田 司

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脱原発デモ隊が連帯しなかった人々

世の中浮足立って落ち着かないよな。都会の母親と市民運動は放射能測定器を持って“自警団”みたいに街中を走り回っているし、新聞、テレビ、ネットにはずっと「お涙頂戴ありがとう」のくさい被災地ルポ一色。「がんばろう日本」に洗脳されて東北一帯を走り回るサポーターにレポーターにボランティア。誰が誰やら、どれがどれやら見分けがつかない。熊本水俣の古い運動仲間や阪神大震災の時の市民自立運動グループらも支援物資を車に満載して長駆、東北入りしたって聞くし……。

東京じゃ似合わない「知識人」のデモ参加が流行ったようだね。例えばこんな調子――福島第一原発事故を機に、東京都内で反原発デモが相次いでいる。知識人の参加も目立つ。日本消費者連盟などが参加する実行委員会が主催して4月24日に都内2カ所で開かれた集会とデモには、主催者発表で計約1万人が参加した。デモの列の一つには評論家、柄谷行人の姿があった。
「デモに来るのは50年ぶり」と柄谷。「デモは一番大事な原点。どこの国でもやっているのに、日本は議論はあっても行動がない。もう議員や評論家には頼めない。今は、ものを書くことよりデモをすることが大事だ」と語る。
「日本でデモがなくなったのは1970年代から。原発が増え始めたのと同じ時期だ。政権交代があっても何も変わらなかった。デモをやるしかない」

と、朝日新聞は伝えている。

実行委の日消連は2001年から3年間、「個人情報保護法案粉砕!」「住民基本台帳ネットワークシステム拒否!」の市民デモをともに戦ってきた仲だから、彼らの“世直しデモ”の変革願望指数がどのくらいのレベルかはよく承知している。おまけに60年代日韓条約・ベトナム戦争・全共闘の時代から70年代三里塚・水俣闘争を経て、90年代湾岸戦争さらに2003年イラク反戦運動までデモまたデモをやり続けてきた体験から言うとね、50年ぶりの柄谷行人には悪いが、デモで世の中が変わったことはない。「デモをやるしかない」のではなく「デモでもやるしかない」のだよ、日本の現実は。

しかしまぁ、わが敬愛する柄谷行人がすなる反原発デモなら、我もまたしてみんとてするなり……で、6月11日の世界同時多発・新宿デモを“覗き”に出かけてみた。主催者発表では、参加者は7千人。20代~30代が目立った。

6月20日付の朝日新聞にはこう載っている。

「東日本大震災から三か月目となる11日、脱原発を訴えるデモに全国121カ所で計6万人以上(主催者発表)が参加した。インターネットを通じた日本発の呼びかけに応えたフランスなど11の国・地域を巻き込んだ「世界同時多発」デモになった。

参加者は音楽を流したり、マイクを握ったり、様々な方法で脱原発を訴えた。労働組合ののぼりを掲げた比較的高齢の参加者たちの隣で、若者がギターをかき鳴らし、ドラムをたたき続ける。

2003年のイラク反戦デモのころから注目された「サウンドデモ」の流れを引くスタイルで、真面目さが目立つ旧来型に対し、DJや生バンドが大音量を響かせるなかで楽しく歩くことを特色とする。

日中、7千人が参加し全国最大規模になった新宿のサウンドデモでは、「社会学者の小熊英二さんです」と紹介されてあいさつした小熊さんが「楽しくやりましょう!」と呼びかけた。

60年安保以来、50年ぶりにデモに参加したと発言して反響を呼んだ評論家の柄谷行人さんも、新宿を歩いた。『原発が危険なことは、わかっていたのに何もしてこなかった。その責任の意識から歩きました』」

でね、その6.11反原発100万人行動のスタート地点・新宿中央公園にこの私めものこのこ出かけてみたのよ。「どんなんかなぁ~」「どんな奇天烈な連中が集まってるンかなぁ~」って。単なる“覗き趣味”なんだよね(笑)、反原発行動というより。でね、集会場に着いたのが午後2時の昼下がり。3時からの集会開始に間に合わせようと舞台づくりや音楽アンプの設定に忙しく動いている若者たちの中に、あれっよく見た顔があるじゃないか!? 〈H〉だ。Hは個人情報保護法粉砕デモで、“機動隊とぶつかりたがる”一番の過激オジサンで、跳ね上がらないよう抑えるのに苦労した男だ。お友達に『突破者』の宮崎学をもつという、右だか左だかよくわからんオジサン。Hの右腕で、私がすご~く信頼しているU君が若者たちに指示を出し、テキパキ動かしている。

吉田 なんだ、H。お前が今日のデモの仕掛け人かよ(笑)。
H   おおー、吉田。よく来た。ちょうどいい。おーい、Uぅ~! 吉田が来たぞー。大会の連帯挨拶のプログラムに吉田
の名前入れとけ。吉田にもアピール叫んでもらうから。
吉田 チョット待てよ。俺と今日のデモ、なんの関係もないだろ。
H   どーして!? いま盛り上がっているこのサウンドデモ、はじまりは吉田たちがやった個人情報保護法案反対の
銀座デモ(2001年4月、約500人)だろ。あのとき、沖縄エイサーのミュージック隊先頭に立ってさ、ガンガンや
ったろ。音楽デモ。「森の妖精」の踊り子隊を久田恵(ノンフィクション作家)がやったり。吉岡忍(ノンフィクション
作家)が羽織袴姿で仮装行列デモやって、銀座のど真ん中、ビックリさせたろが。あれがいまのサウンドデモの
はじまりだ。
吉田 あはは、それはね、H。そら、お前の個人的意見だよ(笑)。
H   俺はね、悪いけど、日本のサウンドデモの専門家だよ。間違いない。

別に自慢話を書いているわけではない。脱原発、反原子力の市民デモ、たしかにメディアが言うように、かなり盛り上がってはいる。しかし、その〈デモのつくり方〉は旧態依然。ほとんど何も変わっちゃいない。なんの奇天烈もないということを言いたかっただけだ、中央公園広場の前方に集まっているサウンド系の若者はあの高円寺の「素人の乱」でよく見かける顔がたくさんいたし、後方に集まっている一般市民グループの中には、30~40名の60年安保を戦った「全学連」の生き残り組を率いた〈M〉の顔があった。Mも個人情報の時からのおトモダチだ。要するに、ここ10年デモをする人間の意識構造はほとんど何も変わっちゃいない。デモが盛り上がっているように見えるのは、その旧態依然構造の隙間に放射能パニックの東京市民たちの新しい顔が多く入り込んだに過ぎない。

「何もしてこなかったその責任感から」参加した人もいたようだし。下手すると、参加者が多いほど放射能不安の“ガス抜きデモ”になりかねない。大体、このデモ、敵は誰なんだよ? 放射能か菅直人か東電か? 放射能なら〈生きるか死ぬか〉だろう。生きるか死ぬかだったら、それは2~3年前、非正規雇用の派遣「奴隷」労働粉砕!デモ時代のジャンヌ・ダルク・雨宮処凛が叫んでた「これは人間としてのギリギリの生存闘争なんです」って、アレと同じだろ。そして生存闘争なら、怒りのデモで〈新宿争乱〉〈国会包囲〉の声が多少でも噴出するはずだろう!? なんで「楽しくやりましょう!」(小熊)なんだ。なんで「新宿を歩いた」(柄谷)なんだよ。

俺は「新宿を歩かなかった」。中央公園のにぎやかなデモ集会場のわきにひっそりと集まった10人ほどのホームレス老人たちのところに行って、話してた。その日はちょうど彼らが新宿・渋谷・池袋をまわって集めたコーヒーやコーラ、日本茶の空き缶をつぶして大きなビニール袋に詰め、集荷業者のトラックに売り渡す日だったらしい。40~50㎏ぐらいにつぶして集めた大きなビニール袋を荷台に乗せてやってきた75歳の爺さんの手伝いしたり……。

いちばん若い56歳の元棟梁(大工)Lさんと立ち話をしていた。

吉田 あの袋、重たいよねぇ。何百個の空き缶つぶしてんだろ。あれで何日分くらいなの?
L   3~4日。一週間かかって。人それぞれ、体力次第。ホラ、いま、あいつ。指5本開いて、ここ通ったろ。あいつの
今日の収入、5000円。まあ一週間かかってンな。5袋いっぱいあったからな。
吉田 それで食ってけんの? 新宿・渋谷・池袋と歩き回って空き缶探すのに電車賃もかかるだろうし。
L   バカヤロウ(笑)。ぜんぶ徒歩だよ。夜中もやるんだよ……。だからいまのあいつ、これからグーッと一杯飲みに
行くわけ。一週間のお疲れさまだ(笑)。
吉田 すぐ目の前で東北大震災のデモやってっけど、Lさんたちに声ひとつかける人いないものね。そら、大震災で家
財失ってホームレスになって避難所入ってる不幸な人は東北にたくさんいる。「がんばろう日本」って言うけど、
この新宿のホームレス人たちだって、同じ“家なき子”じゃないか。一緒にデモしましょうよ……って、誘う人間が一
人くらいいたっていい。
L   あの人たちと俺たちは別だから。俺たちはみんなそれぞれ人生の落伍者だから。失敗者だから。帰るふるさともな
いし。でも他人には依存していないから。空き缶さえあれば、俺たちは自分で自分を養ってゆけるんだから。

石原慎太郎都知事が東京電力のムダな消費を抑えるために都内の自動販売機の大幅削減を主張している。それは当然〈空き缶〉の発生率を激減させるだろう。新宿のホームレスたちの“生命の糧”である空き缶がなくなったら、彼らはどうすればいいのか--ここにも〈生きるか死ぬか〉の生存闘争の現場がある。しかし、それと反原発デモは無縁だった。デモ隊の出発がはじまった頃、わたしは「新宿を歩く」ことを拒否して中央公園を去った。若い頃、新左翼(三派全学連)のデモ学生が100~200人のショボいデモを繰り返し、機動隊に殴られ続けた時代によく歌った唄(植木等の『ズーダラ節』の替え歌)を口ずさみながら。

デモで世の中変わるわきゃねえよ。
わかっちゃいるけどやめられねぇ。
あっスィスィスーダララッタ、スラスラスィスィっと……

そのあとのことは知らない。6月20日付の朝日新聞にはこう載っていた。

「6・11のハイライトは東京・新宿だった。午後6時からの2時間、新宿駅東口の通称アルタ前広場は、首都圏各地で行われたデモや集会から合流した2万人で埋め尽くされた」

えーっ、そういうわけでありますから、この大震災騒動の中で「知識人」(この用語はもうすっかり死語だと思うが)とジャーナリズムが何気なく発した言葉の軽さや非常時判断のミス、本の誤読や書き流したトンでも文章などを、こちらも気ままに軽やかに撃ち抜いてゆく『ブログ・ショット』(狙撃手)の物語=撃ち抜いてもっと、別の、自由で開明的な東北震災譚ワールドを作ってゆこう。
(つづく)
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  1. 2011/07/30(土) 16:44:15|
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