FC2ブログ

仮説の冒険 吉田 司

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

またまた宮沢賢治がやってきた

東日本大震災への義援金ブームが起きている。楽天の三木谷浩史が10億円、ユニクロの柳井正が10億円、ソフトバンクの孫正義が100億円。ジャーナリズム知識人から有名芸能人や歌手、温泉旅館の観光業者、ご当地グルメのイベント会場に至るまで、義援金出さない奴は“日本人じゃない”みたいな勢いだ。

おお、そうかよ。なら日本人なんかやめてやる。自慢じゃないけど、こちとら天下の貧乏人。金はないし、被災地支援にも取材にも行かない。「がんばれ日本」の国民精神総動員運動からドロップアウトする。むしろ「無国籍」ウエスタンのならず者となり、そうした“全体主義ニッポンの再起動”への言論戦をこのブログから開始したい。

まず手はじめに東北の農聖「宮沢賢治」の国民神話が復活・徘徊しはじめたらしいので、それに対抗する神話崩しの物語から書き始めよう。

「岩手で生まれ育った詩人。宮沢賢治の代表作『雨ニモマケズ』が、大震災の惨禍に打ちひしがれる人たちへのメッセージとして、国内に、そして、海外に、広がっている」(朝日新聞4月5日「ニッポンみんなで」)俳優の渡辺謙らが「雨ニモマケズ」の詩を朗読する映像が動画サイト「ユーチューブ」で配信され、ジャッキー・チェンら芸能人百人あまりが香港で開催した被災者支援コンサートでも「雨ニモマケズ」を優しいバラードに載せた『不要輸給心痛(心の痛みに負けないで)』を一万人近い市民と大合唱したというのだ。

1996年の賢治生誕百年記念の大ブームも終わり、最近はもうマッタクお呼びじゃなかったのに、TSUNAMI&放射能の復旧・復興作業がお先真っ暗だから、賢治の国民神話の方を復旧させて「大丈夫ナカラダ」「欲ハナク」の耐乏生活をおすすめするってわけか。それじゃまるで賢治は「貧乏神」扱いじゃないか。あるいは戦前東北の農村飢饉を救おうとして結核で死んだ「農聖」「童貞菩薩」。賢治って本当にそんな人だったのだろうか。

とまあ、そんな調子ですから、わたしこの間、ライター仲間がせっかく誘ってくれた被災地訪問(支援と取材)もチャラリと捨てて、東京六本木の国立新美術館「シュルレアリスム展----パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による」を観に行ったのですが、その時の美術パンフレットにはこう記してありました。

「1924年、当時28歳の詩人アンドレ・ブルトンは、パリで『シュルレアリスム宣言』を発表、20世紀最大の芸術運動の口火を切りました。シュルレアリスムは、偶然性、夢、幻想、神話、共同性などを鍵に、人間の無意識の世界の探求をおこない、日常的な現実を超えた新しい美と真実を発見し、生の変革を実現しようと試みるもので、瞬く間に世界に広がりました」。

絵画ではキリコ、ダリ、ミロ。文学ではアポリネール、コクトー、カフカなどに代表されるこの超現実主義(シュルレアリスム)の出現はロシア革命を間にはさみ1914年から1918年まで続いたあの第一次世界大戦の機械とエレキテル(電気)の戦争文明=軍艦・鉄道・無線機・戦車・飛行機などによる人間の大量虐殺=兵士たちの長い長い葬列と無関係ではなかったでしょう。

神仏でも救えない戦争機械による大量死。だからシュルレアリスムには中世ルネッサンス的な人間の肉体美「統一され完成された人間像」がまったく見当たりません。顔は仮面(ペルソナ)で偽装され、手足は部品(パーツ)として切り分けられ家具のテーブルやピアノの組立品に変化しています。それは神の似姿(にすがた)をしている人間像への不信と哄笑、抗議(プロテスト)なのでしょう。〈神は死んだ〉。だからシュルレアリストたちの最も初期の作品に姿を現す物語は、戦場で死んだ友人の幽霊譚だったといわれています。

幽霊だと!? それなら宮沢賢治が最も得意とした分野じゃないか。というのもね、ブルトンがシュルレアリスム宣言した1924年って年はね、日本では大正13年、東北岩手のイーハトーヴ童話の宮沢賢治(28歳)が心象スケッチ『春と修羅』を自費出版(初版1000部)した年なのさ。(関東大震災は前年の1923年)

そしてね、〈心象スケッチ〉って言葉はさ、今にして思えば「夢、幻想、神話……などを鍵に、人間の無意識の世界の探求をおこない」描写することではなかったろうか。『春と修羅』(序)の中で賢治はおのれの自画像をこう描き出している。

 わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしよに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

自分は有機体(一定の目的・原理のもとに統一された全体=生物体を指す)としての人間というよりは、有機的な交流電燈のような存在だと宣言しているのです。まだ鉄道やラジオ、飛行機などの電気文明(エレキテルの時代)が目覚めはじめた頃のことでした。『春と修羅』には機械文明化されてゆく人間像への前衛的な肯定と到来しつつある“大いなる全体(主義)”に抱擁されんことを夢みる“寄る辺なき魂”が同居している。

幽霊が誰であるかは賢治は生涯明らかにしなかったが、中学時代の親友・保阪嘉内にはこう手紙の中で告白している。
「わが虚空のごとき哀しみを見よ。私は何もしない。何もしてゐない。幽霊がときどき私をあやつつて、……どこかの人と空虚なはなしをさせる。正に私はきちがいである」

とすれば賢治の心象自画像は、花巻の夜の町にポっとともる青い街灯のようなものなのだろうか。そう言えば、賢治はとても超現実(シュール)な水彩画『月夜のでんしんばしら』っていうのを残している。動けないはずの電信柱に足がはえて、学生帽か鉄道労働者の帽子かなんかを被って、黄色い月夜の野原を歩いている絵だ。

六本木の「シュルレアリスム展」の最も初期のシュルレアリストたちの絵画列の中に、そっと黙ってこの『月夜のでんしんばしら』をしのびこませて展示したって、なんの違和感もないだろう。シュルレアリスト宮沢賢治。そう、彼のリアルな魂は機械文明時代の前衛芸術、人間を交流電気受信装置の電燈やラジオ(東京放送局、ラジオ試験放送開始 1925年)のようなものとして描き出したのだ。一個のエレキテルな人間受信機にすぎないと部品(パーツ)宣言したと言ってもいい。それを21世紀の現代風に翻訳すれば、人間がインターネットのコンピュータや携帯電話の情報端末のような存在に機械化されているという認識とほぼ同じようなものだ。

そうそう、そこで思い出したのが、ランディのことだ。20世紀の世紀末の頃、インターネットのメールマガジン界の女王って騒がれた作家の田口ランディを取材(『アエラ』「現代の肖像」2001年3月)してて、彼女がしゃべった奇妙な言葉を思い出したのだ。いじめやひきこもりに苦しむ若者たちが万余とアクセスを繰り返し、母性的な癒しを与えてくれる巫女的存在とも言われた、その言葉。こんなのだ。

田口 私がネットでやっていることは、人間の社会とか現象の背後で動く“陰の力”が予感となって私の中に入ってきたとき、それを言葉に乗せて送っているんです。私自身はすごい空っぽですね。すごく空虚な人間だと思います。
吉田 じゃあ、憑代(巫女)なの?
田口 そうですね、気持ちとしては。
吉田 それなら“癒し”というより、お告げとか警告じゃない。
田口 でも、私がそんなこと書いているなんて誰も思ってない……。私ね、もう物心つく頃から、外側から何か得体のしれない大きな力が働きかけてきて、お父ちゃんが酔っぱらっていようが、お兄ちゃんが頭が変になろうが、「私は大丈夫」って思ってきた。それは、今もずっとある。
吉田 それを神と言っちゃうと宗教。
田口 そうなんですよ。でも、神じゃない。何なんだろう。

それを“幽霊”と言っちゃうと、宮沢賢治になる。田口ランディは“賢治の生まれ変わり”だろうか(笑)。ともあれ21世紀の今も青い有機交流電燈の受信装置は健在らしい。

それならね、ランディが仮にもし賢治になれるのなら、この私だってその青い有機電燈=有機ケータイの脳内画面に賢治の面影ぐらいは呼び出せるだろうと思ったのよ。だって私は『宮沢賢治殺人事件』(1997年)『デクノボー宮沢賢治の叫び』(宗教学者・山折哲雄との対談集2010年)と賢治本を2冊出しているし、今年は“魔術師のノンフィクション”と銘打った『カラスと髑髏』という本も書いている。魔方陣も書けるのさ(笑)。でもね、そのフトしたいたずら心が悪かった。3日3晩、魔法の言葉を唱えながら、自分の脳髄を有機ケータイ構造に「チェンジ!」するための魔術トレーニングをやってみたのだ。マジで。

まあ最近のビジネス誌で流行っている「自分で自分を救う《心の筋トレ》入門・幸せになる練習」(『プレジデント』5月30日号)の一変種みたいなものだね。

すると、どーなったと思う?

3日目の夜半、有機ケータイの脳髄画面にボーっとひとり、姿を現したものがいる。旧帝国陸軍の軍服を着ている。幽霊だ、軍人の。あららぁ……と思ったね。賢治と間違って、別の幽霊を呼び出しちまったらしい。パニクっちゃってね。だって、それからその幽霊はずっと私の脳髄の中を占領しちゃって、軍人映像が消えないのだ。幽霊ケータイ状態なんだよ、いまの俺の頭の中。おーい、賢治。なんとかしてくれーっ。

例えばためしにこのブログを見てくれてるあなた、動画サイトにアップされた東日本大震災のあの東北地方の惨状=津波破壊・放射能汚染の被災地映像にケータイからアクセスしてみてください。あなたのケータイモニターには倒壊したマンションや橋、自動車や船、便器にブラジャー、電動歯ブラシと仏壇と家族の思い出のアルバム……ひんまがった町や村の姿が映し出されるはずだ。

そしてテレビには、「がんばろう日本」「ひとつになろう」といった義援金スローガンの言葉があふれている。

しかしわたしの有機交流ケータイにはそうした災害のリアルな爪痕は全然映らないのだ。逆立ちしてもダメ。映らない。ただ、第二次世界大戦のその帝国軍人の幽霊画像がボーっと映っているだけ。時々なにか声高にしゃべる。「セ・カ・イ・ハ・ヒ・ト・ツ・ニ・ナ・ル」と聞こえる。「世界はひとつになる」だと。いったいこの軍人は誰だろう? 保阪嘉内に告白した“きちがい賢治”となにか関係があるのだろうか?

あれ、賢治の神話崩しの物語がわけのわからぬ幽霊を生産してしまった!?
(つづく)
スポンサーサイト
  1. 2011/05/22(日) 23:29:22|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「緑の党」を生んだ国の原罪 | ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://tsukasa45.blog.fc2.com/tb.php/1-57f2028e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。