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仮説の冒険 吉田 司

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4-3 敵は民法887条

 でね、ちょっと小難しい民法の「家族法」というか「生活保護法」の話になるけど、まあつき合って。老親の養育義務=介護義務を全面的な公的救済に変えるためには、それら民法に定められた法律の一部を改正、もしくは廃止させる必要があるからだ。まあ一種の1960年代アメリカの黒人「公民権」獲得運動のような、日本国民「生存権」(生活自衛権)確立運動の性格を帯びることは間違いないからだ。

 まず日本国憲法で「すべての国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利」(第25条)を持ってることは知っているよね。生活保護の制度はその最低限の生存権「セーフティーネット」だから。日本国民なら誰でも保証される「公的救済」だ。それを申請すれば、特養老人ホームで(子どもの介護なしで)暮らしてゆけるはずなのだ。(特養が空いていたらね……の話だよ)。

年金月額2万円の収入(財産ゼロ、家なし)しかない絶望的ビンボーのわたしの老母などはピッタシその対象になるのに、山形の兄貴はやっぱり「俺は生きている間は、自分の手で扶養する」「お前の代になったら、生活保護にしろよ」と譲らない。

なぜか? というと、特養放棄は前出(2)のインターネットの回答者が指摘したとおり、民法887条違反で犯罪視される。“姥捨”という社会的非難の目で見られることは、国民が“迷信”に惑わされているからではなく、民法にそう書いてあるからなのです。根拠のない迷信ではなく、根拠のある現実なのです――そう、脱地獄のために戦わねばならない〈本当の敵〉とは、この民法887条なのです。

堀勝洋・岩志和一郎編『高齢者の法律相談』のページを開いてみると、こうあります。

「1950(昭和25)年に改正された生活保護法では『扶養義務者の扶養……はすべてこの法律による保護に優先して行われる』」(4条)

要するに扶養義務者(家族)がいる場合、家族が面倒をみる。国は生活保護の金は出さないという法律です。そして……

「民法で定める扶養義務者とは①夫婦相互(民752条)②直系血族および兄弟姉妹相互(民887条)……このうち①②を絶対的扶養義務者といいます。……そこで、夫婦間および未成熟子(ほぼ高校卒業頃まで)に対する親の扶養義務を生活保持義務、その他の直系血族、兄弟姉妹間の扶養義務を生活扶助義務に分け、前者は一片のパンも分かちあうような扶養関係、後者は、自己の生活を犠牲にしない程度で余力のある場合に扶養する……考え方がとられています。前者はともかく、後者まで生活保護に優先するというのは疑問があります」

ふーむ、「疑問がある」だと。なら収入が生活保護以下のわたしなどは、どうやらアルツハイマー症の母の扶助義務からは解除されそうな様子だが、しかしそれはそれ。

日本中に蔓延する老老介護、老親介護の《義務地獄》の悲劇はこの民法規定(752、887条)がある限り終わらない。廃止!を叫ぶソーシャルムーブメントがどうしても必要だと、わたしは思うのさ。

なお、なぜそんなにも老親の扶養義務が子ども(家族)たちに重く課せられるのかの根拠については、こんなことが挙げられています。

①親が子を扶養してきたこと
②子は第一順位の相続人であること
③子が最も近い直系家族であること
④老親が過去において労働しているからこそ今日の社会があること

887条廃止のための理論武装

 さあそれでは、いよいよここから887条廃止!のための理論構築・考察編に入っていきましょう。もちろん民法752条も含まれるが、メンドーだから今後は〈887条〉で代表させちゃうぜ。

 まずですよ、①②③で語られていることは親と子の血縁関係(家族の絆)の濃密さの強調です。ではその濃密さがなぜ〈義務〉に変わるのでしょう?

 またそれにプラスして④「老親が働いたからこそ今日の社会がある」と、親の地位が特別化=特権化されていますよね。ここがマジックの始まりです。親の存在を特別化する④の思想は、次のように分解すると面白い。

⑤「今日の社会」を子どもが現在獲得している社会的地位(財産)だと解釈すると→それは《親の恩》だということになる。親の恩には《子どもの孝行》=私的扶助で応えるのが当然だということになる。

⑥「今日の社会」を戦後日本の経済大国化の繁栄を指すと解釈すれば→長い間「国家」の労働力として燃え尽きた「忠勤」=生活保護で報いるという考え方になる。

 そう、民法887条の裏には極めて古臭い封建道徳〈忠孝〉の教えが隠されているのさ(笑)。そこから「子どもが老親の世話をするのは当然だ。それこそが日本の美風だ」「親の介護放棄は〈悪〉だ」という親子(家族)関係の絶対化=神聖化(例えば親殺しは一般殺人より重罪)が生まれてくるのだろう。

 そして、絶対的扶養義務も発生するのである。

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  1. 2013/02/28(木) 00:38:10|
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